自然災いを通して自分がすべきことは何

過日、熊本で前代未聞の大地震がありました。歴史的マンションの崩壊、多くの尊い人命が失われた訳、連日レポートで映し出され、「あすは我が身」だと、改めて考えさせられました。十時期傍らプレ、福岡でも地震があり、僕は現場にいた訳ではありませんが、大きな動きを感じました。その日は土曜日で、連日の疲れを癒そうと、自宅で朝風呂に入っていました。入浴してしばらくすると、ちょっぴり動きを感じましたが、当時、2床建ての家屋に住んでいたので、風の音や段階の上り下りに憶える動きだと思いました。人体も程よく温まり、洗髪している時だ。大きな動きを捉え、少し続きました。慌てて落とし、脱衣フロアにて人体をふき、TVを擦り込みた面、福岡で地震が発生した意味、どのテレビ局も速報で流していました。急いでファッションを着て、どうしたらいいものか考えました。瓦斯ま閉まっている、水道も止めた、どこに避難したらいいのか、考えれば企てる程分からなくなり、TVで姿を確かめ、最新のデータを得たうえで行いしようと思いました。すごく動きはしたものの、棚やたんすが壊れたりするような異常はなく、地震後は、今まで通り暮らしをすることができました。当時の僕は、一人暮しで一人暮らし。何かあったときの訳なんて、アイデアもせず、他人事のように思っていました。しかし、地震以上、一人暮らしが故の回答をとらなければと思い、自宅で便所に加わる時は、シャッターを少しだけ開けて置き、通帳や印鑑などといったものは、かさばることは承知で、ずっと持ち歩く、裏面の中には、位置づけ証明書と繋がるものを入れておく、ハンカチ・ティッシュ・ハンドクロスを2日パイそば入れておく、絆創膏や常備薬を入れておく、などの思いつくことを大概やり、何かが置きた場合、そのバックを片手に逃げようと思いました。これくらいでは、生易しいと思われても方策がありませんが、悪しからず。
 現在は結婚をし、児童のライフを守らなければならない地位となりました。今でも、自宅で便所に入る時は、少々シャッターを開け、一気に飛び出せるようにしています。裏面の部品も未だにですが、児童ができた今回、母子メモリーとお薬メモ用紙を追加して備えています。
 私たちは、普通惨事に対して無力なのです。無力だからこそ、各自で望める整備が大切なのだと、改めて思いました。